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承認欲求を手放せる時が来ている

今朝、ふとよぎったのです。

他人に認めてほしいって、何なんだろう。

だって私も、誰かにとっては「他人」だ。

私は人と関わるとき、よく家庭環境の話をしていました。

それを話せば人が優しくなる。

相手の中で私は「理解できる人間」という枠にはまる。

でもそのやり方は、親を悪者にして成立していました。

何度か親を擁護する人もいました。

それは親ではなく、その人自身を守る発言だったと思います。

その都度、何かが胸に残っていき、

いつからか家庭環境の話はしなくなりました。

レジの仕事をしていた頃、

結婚もしておらず、働き盛りの年齢で

短時間しか働かない私は、みんなに不思議そうに見られていました。

気を使い、ずっといい人であり続けました。

私は「害がない人ですよ」と証明するように

みんなに鎧を下ろしてほしくて。

でも、このやり方では働き続けることができなかったんです。

そうした日々がすぎて、友人が結婚しました。

私に話してくれるのはいつも旦那さんの愚痴。

私は共感してあげられなくなっていたんです。

「その人にも事情がある」そう感じていたから。

承認欲求というのは、

「受け入れてもらいたい」「安心したい」ということ

田舎に行った時に感じました。

都会にいる人たちより息が詰まっていない。

それは生まれた時からお互いを知っているからじゃないかと。

「あの人はあの家庭で育った」「あの子はあの親の子」っていう

なんなら「あいつは昔からあんな奴だ、仕方ない」とかね。

互いの事情を知っているからこそ、

都会と違う空気を持っている。

今の時代は、つながれる人の範囲が広がり、

自分の背景を知らない誰かが、

一瞬の言葉や今知りうる情報のみで自分を判断する。

それが怖い。

もはやそういった繋がりの方が多くなった昨今

自分が自分自身を認め、

自分が自分の人生を振り返り、その道を認識できているなら

もうそれはお互い様。

その瞬間、

自分から放たれていた“ビクビク”や“オドオド”が消え去り、

相手に違和感を伝えることもなくなる。

相手ももう、不思議そうに私を見なくなる。

それでも時々、

「何こいつ」といった視線を感じる時もあるでしょう。

でもそれは、

相手の世界観や経験値が見えるだけなのです。

世界を自分の目から見渡そう。

自分の目から、まっすぐに。

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